アメリカのウィスキーとは

アメリカのウィスキーには、バーボン ウィスキー、ライ ウィスキー、大麦を使ったモルト ウィスキー、トウモロコシから造るコーン ウィスキー、あまり日本では知られていませんがブレンディド ウィスキーなどがあります。
アメリカのウィスキー造りは、スコットランドやアイルランドの移民が家具と一緒に小さなポットスチルも持ち込んだ時に始まります。
始めは採れた穀物でウィスキーを造っていたでしょうが、やがて移民たちは西を目指して内陸部に進んでいきます。
新たな土地で採れた穀物は、トウモロコシでした。
そこで、大麦やライ麦に変わって、トウモロコシからウィスキーを造り始めたわけです。
これがバーボン ウィスキーの始まりと考えられています。
1948年の連邦アルコール法によると、アメリカン ウィスキーは、
穀物を原料にし、アルコールの度数を190プルーフ(95%)以下で蒸留し、オークの樽で熟成させ、アルコール度数を80プルーフ(40%)以上でボトリングしたものをいいます。
また、樽で2年以上熟成されるとストレートを付けて名乗ることができます。
したがって、バーボン ウィスキーなら、ストレート バーボン ウィスキーと呼ぶことができます。
バーボン ウィスキーについて
アメリカのウィスキーといえばバーボンといわれます。
連邦アルコール法では、バーボンと呼ばれるためには、原料となる穀物の51%以上にトウモロコシを使い、
アルコール度数は160プルーフ(80%)以下で蒸留し、新しいホワイトオークの樽の内側を焦がしてから使い、
また、樽詰めの度数も125プルーフ(62.5%)以下と定められています。
2年以上樽熟成させると、ストレート バーボン ウィスキーとなります。
バーボンという名前は、ケンタッキー州のバーボン郡で造られたからということもあるのですが、
むしろ、樽詰めされたウィスキーが川を下って、ルイジアナやニューオーリンズに運ばれる時、出荷されるオハイオ川の港がおもにバーボン郡にあり、バーボン郡出荷という刻印を樽に押すようになったから、ケンタッキーで造られるウィスキーをバーボン ウィスキー呼ぶようになったといわれています。
バーボン郡のバーボンは、フランス語のブルボンの英語読みです。
フランス語の地名がついたのは、フランス移民が多かったからではなく、ケンタッキーが州として認められたとき、アメリカ独立戦争時に、フランスのブルボン王朝が支援してくれたことへの感謝からだそうです。
ニューヨークの自由の女神像が、独立を記念してフランスから送られたものであることは、よく知られていることです。
バーボン ウィスキーに使われるもの
バーボン ウィスキーにはトウモロコシが使われますが、トウモロコシには糖化酵素がほとんどないので、大麦麦芽を使うことになります。
大麦麦芽は10~15%使われます。
大麦麦芽のほかにはライ麦も使われますが、「メーカーズ マーク」ではライ麦の代わりに小麦が使われます。

バーボン ウィスキー プチトリビア
最初にバーボンを造った人はだれか
ケンタッキーのルイ ヴィルで、エヴァン ウィリアムスが造ったとされ、碑も建てられています。1783年のことです。
しかし、現在のバーボンとは少し違うようで、トウモロコシを原料としたのは、これより6年後の1789年、ジョージ タウンでエライジャ クレイグが造ったとされています。こちらも碑が建てられれていて、ケンタッキーではエライジャ クレイグを「バーボンの祖」と呼んでいるそうです。(*諸説あり)
ちなみに、ルイヴィルとは「ルイの村」という意味のフランス語で、ルイとはブルボン朝のルイ王のことだそうです。

ウイスキーの専門店


バーボン ウィスキーとテネシー ウィスキー
ケンタッキーの南にあるテネシーで造られるウィスキーを、テネシー ウィスキーといいます。
造り方はバーボン ウィスキーと同じですが、蒸留したスピリッツをろ過するところが違います。
この違いによって、ケンタッキーの人はテネシー ウィスキーをバーボンとは呼びません。
ろ過の方法を「チャコールメローイング製法」といいます。シュガーメイプル(カエデ)を炭にして透過させます。
これにより、造りたてのウィスキー原酒にある野生的なフレーバーを取り除き、メローな風味にします。
バーボン ウィスキー業者は瓶詰めする前には一切の風味付けはしません。
テネシー ウィスキーは炭でろ過し、炭のフレーバーが加わっているからバーボン ウィスキーではない、というのです。
テネシー ウィスキーの代表格は「ジャック ダニエル」です。




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スモール バッチ、シングル バレル
20世紀の終わりごろ、バーボンの消費が低迷し、製造業者の統廃合やブランドの見直しが行われました。
消費量は徐々に伸びてきましたが、そういう流れの中で新しいチャレンジも試みられ、「スモール バッチ」といわれるプレミア感のあるものが生み出されました。
スモール バッチは、選び抜かれた少ない数の樽からヴァッティングされたウィスキーです。
普通は一回のボトリングに数百の樽を使いますが、スモール バッチは数十個の樽から造られるそうです。
スモール バッチよりさらにプレミア感を持たせたものが「シングル バレル」です。
スコッチのシングル カスクと同じで、1つの樽から取り出したものだけを言います。
熟成庫のどこに置かれている樽かによって、風味が変わってしまうそうです。
シングル バレルは、熟成庫の上層部、または中段に置かれた樽がいいとされ、そこから選に抜かれた樽でボトリングされたウィスキーには、シリアルナンバー付きのボトルもあるそうです。
バーボン以外の ウィスキー
ライ ウィスキー
ライ麦を51%以上使い、アルコール度数80%以下で蒸留し、内側を焦がしたホワイトオークの樽で2年以上熟成させます。
また、100%ライ麦で造られる「オールドポトレロ」という珍しいウィスキーもあります。
コ-ン ウィスキー
原料にトウモロコシをを80%以上使い、アルコール度数80%以下で蒸留したものをいいます。
ブレンデッド ウィスキー
バーボンやライなどのストレートウィスキーを20%以上使い、ウィスキーやスピリットをブレンドしたものです。
モルト ウィスキー
モルト ウィスキーは大麦麦芽100%、単一の蒸留所で造られるウィスキーのことをいいますが、
アメリカでも、ケンタッキーやオレゴンに本格的なモルト ウィスキーを造る蒸留所ができています。
バーボン ウィスキーの誕生 / ウィスキー反乱
イギリスは、カリブ海諸島で造るサトウキビの糖蜜を、自国の植民地以外から輸入する量を減らそうと、
他国産のもに法外な関税をかけたそうです。
まだ植民地だったアメリカは、対抗して、密貿易を盛んに行いました。
イギリスは、この密貿易を取り締まるために、糖蜜法というものを、1764年に制定しました。
これに怒ったアメリカは独立宣言を行い、独立を求めて戦いを起こしました。1776年のことです。
アメリカの独立には、アルコールに対する高い税金も絡んでいたことになります。
独立を果たしたアメリカ政府は、戦争にたいする多大な出費で、経済的に困窮していました。
そこで政府は、スコットランドやアイルランド移民たちが造っているスピリッツに課税しました。
イギリスの重税にたいする反発から独立したのに、その戦争を戦った農民や酒造家たち対して、イギリス政府と同じことをしたわけです。
課税された側の反発は大きく、あちこちで暴動が起きました。
その中で最大規模の暴動が1794年年にきました。
これが今日、「ウィスキー反乱(The Whiskey Rebellion)」といわれるものです。
アメリカ政府はこの鎮圧のために大軍を送り、この鎮圧から逃れるために、多くのスコットランドやアイルランドの移民たちは西の内陸部への移動しました。
彼らがたどり着いた地が、ケンタッキー州でした。
ケンタッキーで初めてウィスキーを造ったのは、エヴァン ウィリアムスといわれています。
しかし、この時造られたのは、今のバーボン ウィスキーとは違うようです。
トウモロコシを原料とした今のバーボン ウィスキーは、スコットランド移民のエライジャ グレイグが、ジョージタウンで造ったとされています。
*このページは、主に、新潮選書、土屋守著「ウィスキー通」を参考にさせていただきました。
